帝王略論卷一 幽王

生涯

  • 幽王は名を宮皇といい、宣王の太子である。
  • 即位すると三川が震え、岐山が崩れた。
  • 王は褒の国を討ち、褒人は褒姒を差し出して謝罪した。
  • 王は褒姒に溺れ、褒姒の讒言により申后とその子・太子宜臼を廃して追放し、さらに申侯を討伐した。
  • 申侯は犬戎と結んで周を攻め、幽王を殺した。
  • 当初、幽王は諸侯と「賊が来れば太鼓を打ち烽火を上げる」と約束していたが、褒姒を寵愛してからは、笑わない褒姒を笑わせるために偽って太鼓を打ち烽火を上げ、諸侯を無駄に呼び寄せて喜んだ。
  • 褒姒はまた絹を裂く音を好んだため、王は絹を裂かせてその意に従った。
  • のちに申侯と犬戎の兵が実際に攻めて来て王が太鼓を打ち烽火を上げても、諸侯は以前に欺かれたと思い、誰も駆けつけなかった。こうして周は敗れ滅んだ。
  • 太子が立ち、これを平王とする。

史論

公子は「幽王・厲王の二王は暴虐無道であったのに、なぜ滅亡を免れず宗廟だけは存続したのか」と問うた。先生は「源が深ければ流れは長く、徳が厚ければ祚も長く続く。周は后稷以来仁徳を積み重ね、恩恵が広く行き渡っていた。同姓の一族が互いに支え合い、内には多くの一族が、外には晋・鄭などの諸国があって、代わる代わる盟に立ち王室を助けた。これが周がすぐには滅びなかった理由である」と答えた。