帝王略論卷一 宣王

生涯

  • 宣王は名を靖といい、厲王の太子である。
  • 召穆公を宰相とし、尹吉父・南仲・方叔ら賢良を登用したことで、周の道はいったん中興した。
  • 王は千畝の籍田の礼を行わず、虢文公の諫めを聞き入れなかった。
  • 姜戎と戦って千畝で敗れ、さらに太原で民を捜し出して兵に充てようとしたが、仲山甫の諫めも聞き入れなかった。
  • 王政は大いに衰え、在位四十六年で崩じた。
  • 太子が立ち、これを幽王とする。

史論

公子は「周の宣王の徳は名君と呼べるものか」と問うた。先生は「宣王は詩人にその功績を詠まれるほどであったが、実際の行いを見ると詩経の雅頌にうたわれるほど充実してはいない」と答え、次のように述べた。周室は厲王の暴虐で久しく衰えていたが、宣王が即位して賢能を登用し、南は荊舒を服し北は獫狁を威したことで、天下はひととき至治と称された。しかしその後千畝で軍を喪い、太原で民を捜索するに至り、これを怨嗟する詩が作られた。詩に「初めあらざるなし、終わりを全うすること鮮し」とあるのは、まさにこのことを指す。