宋史演義第八十三回 趙汝愚、策を定め新皇を立つ/韓侂冑、権を弄び良相を逐う (趙汝愚定策立新皇 韓侂冑弄權逐良相)
寿皇(孝宗)の崩御
- 韓侂冑の取りなしで待罪していた留正らが都に呼び戻される。まもなく孝宗(寿皇)が重華宮で崩御するが、光宗は李后に阻まれてか喪に赴かず、やむなく呉太皇太后が代わって喪主を務める異例の事態となった。孝宗の治世が総括して語られる。
立太子の紛糾と留正の出奔
- 光宗が服喪も政務も執れない中、群臣は嘉王擴の立太子を求めるが、光宗の御批は「甚好」から一転「退閒を望む」との不穏な言葉に変わる。留正と趙汝愚は方針が分かれ、留正は自ら病を装い辞職して都を去ってしまう。
趙汝愚・韓侂冑・呉太皇太后による内禅の画策
- 留正出奔後、趙汝愚は徐誼の勧めで韓侂冑を通じて呉太皇太后に内禅の決断を仰ぐことを決意。内侍関禮の仲介で太皇太后の同意を得る。
- 兵を配して宮中を固め、密かに黄袍を用意した上で、太皇太后が梓宮前で嘉王擴への譲位を宣言。嘉王はいったん固辞するが趙汝愚の説得で即位し、光宗は太上皇となる(寧宗の即位)。
論功と韓侂冑の不満
- 趙汝愚は自ら宗室であることを理由に恩賞を求めず、韓侂冑にも軽い加官しか与えなかったため、韓侂冑は強い不満を抱く。徐誼・葉適は韓侂冑を厚遇して外任に出すべきと進言するが趙汝愚は聞き入れず、後の禍根となる。
韓侂冑の台頭と趙汝愚の孤立
- 留正が孝宗陵墓の件で趙汝愚と対立すると、韓侂冑が讒言して留正を罷免させる。以後、韓侂冑は台諫に自分の息のかかった人物を次々と送り込み(謝深甫・劉徳秀・李沐ら)、趙汝愚の勢力を切り崩していく。
- 朱熹も一時招かれ侍講となるが、韓侂冑を弾劾する上疏が寧宗の逆鱗に触れ、優人の芝居まで使って中傷され、結局宮観に退けられる。
趙汝愚の失脚と死
- 京鏜の献策により、趙汝愚が太宗の血筋であることを利用し「夢で龍を得た」との故事を口実に謀反の疑いをかけられる。李沐の弾劾で趙汝愚は右丞相を罷免され、地方に左遷、さらに追加の讒言で永州安置となる。
- 太学生六人が趙汝愚を弁護する上書をするが処罰される。趙汝愚は左遷の途上、地方官の虐待もあって病を得て急死した。
評語
- 光宗から寧宗への譲位は趙汝愚の決断によるものだが、その功績は徐誼の発案と韓侂冑の実行あってこそであり、論功を怠ったことが韓侂冑の恨みを買う原因になったと指摘。
- 韓侂冑を外任に出さず朝廷内に留めたことが禍根となり、忠はあっても智が足りなかったという古人の評を引きつつ、趙汝愚の悲劇を惜しむ。