宋史演義第八十二回 内権を攬り辣手兇を逞しくす/過宮を勧め裾を引き極諫す (攬內權辣手逞兇 勸過宮引裾極諫)
金世宗の治世
- 孝宗晩年、金の世宗が没する。世宗は倹約と善政に努め、名君と称された治世が簡潔に紹介される(西夏・高麗との関係、宗室の改葬なども含む)。
光宗の即位と李皇后の専横の兆し
- 光宗は紹熙と改元し留正らを登用したが、皇后李鳳娘(李后)が権勢を欲しがり、宦官を巧みに利用して光宗を意のままに動かすようになる。光宗は宦官を排除したいと考えつつも李后の庇護でそれもできず、心疾(心の病)を患い始める。
李后の策謀と嘉王擁立の布石
- 孝宗(寿皇)が合薬した噂を宦官が誇張して伝え、李后は疑心を強める。
- 李后は酒宴の場で光宗に嘉王擴の立太子を持ちかけるが、光宗は「父の許しなく専断できない」と答える。
- 李后は自ら寿皇のもとへ赴き立太子を求めるが、寿皇に「早すぎる」と一喝され恥をかき、恨みを募らせる。
黄貴妃の惨殺
- 帰宮した李后は光宗が黄貴妃のもとにいるのを見つけて激怒。後日、宮中の隙をついて黄貴妃を杖罰で撲殺させ、暴病死と偽って光宗に報告した。光宗は疑念を抱きながらも咎められず悲嘆にくれる。
光宗の病状悪化と郊祀の惨事
- 心痛のあまり不眠に苦しむ光宗。祭天の儀では暴風雨に見舞われ、祭儀もままならず、以後病はますます重くなる。
寿皇の見舞いと李后への叱責
- 寿皇が見舞いに訪れ、李后が政務に介入していることを厳しく戒めるが、李后は強弁して取り繕う。李后は帰路、光宗にあたり散らす。
過宮(重華宮参内)を巡る攻防
- 光宗は病を理由に重華宮への参内をたびたび怠り、群臣の再三の諫言でようやく応じるという繰り返しが続く。彭龜年・趙汝愚らが強く諫めるが、李后の妨害で効果は限定的。
- 趙汝愚の勧めで一時的に光宗・李后そろって参内し和解ムードとなるが、李后はその機に乗じて自身の家廟参拝を実現し、多数の親族・従者に恩賞を得る。
陳源の重用と諫臣の孤立
- 光宗は讒臣陳源を重用し、陳傅良らが強く諫めても聞き入れず、李后の妨害で過宮はさらに滞る。陳傅良が光宗の裾を引いて諫めた「引裾」の逸話が語られる。
寿皇危篤と光宗の無視
- 寿皇が重病となっても光宗は見舞おうとせず、群臣の懇願にも応じない。留正らが必死に諫めるが光宗は取り合わず退出、ついに留正らは待罪して都を離れる。
- 寿皇は憂慮のうちに韓侂冑を呼び寄せる。
評語
- 孝宗の越次立太子は非とされるが、光宗即位前に魏王が没していた事情には一定の理があるとする。
- 一方で光宗が悍后に翻弄され、宦官の離間を許し、寿皇危篤にも顧みなかったことは天良を失った振る舞いであり、「知子莫若父」の格言も光宗には当てはまらなかったのではと結ぶ。