宋史演義第六十二回 姦謀に堕ち闔宮劫を被る/異姓を立て二帝塵を蒙る (墮姦謀闔宮被劫 立異姓二帝蒙塵)
欽宗、金営に降伏を乞う
京城陥落を悲嘆する欽宗のもとに衛士たちが押しかけ突囲を求めるが、孫傅・呂好問らに止められる。欽宗は自ら降表を携えて金営に赴き、粘沒喝・干離不に拝礼して降伏を乞う。金は割地・金帛に加え、皇帝の交代までも示唆し、欽宗一行は多額の金銀布帛の追加供出を約束させられてようやく帰還を許される。
割地使の派遣と忠臣の死
欽宗は劉鞈・陳過庭・折彦質らを割地使として派遣する。鹽官県の知県だった欧陽珣は割地に反対していたにもかかわらず割譲交渉に出され、深州で降伏を拒んで焼き殺される。両河の軍民の多くも金への降伏を拒み続ける。
金軍の苛酷な要求
金軍は汴京に居座ったまま食糧・馬匹に加え千五百人もの女性の供出まで要求し、多くの宮女が辱めを恐れて自ら命を絶つ。
欽宗、再び金営へ
靖康二年正月、金は重ねて金幣を催促し、ついに欽宗を再度金営に呼び出す。張叔夜らの諫めも聞き入れず、欽宗は自ら金営に赴くが、そのまま抑留されてしまう。太学生徐揆は解放を訴えて殺され、割地使劉鞈も金への服従を拒んで自害する。
金銀の徴発と廃立
金軍は都中から金銀を根こそぎ徴発し、これでも足りぬとして官吏を処罰する。ついに金主の命により徽宗・欽宗は庶人に落とされ、上皇一行も強制的に城外に連れ出される。侍郎李若水は欽宗にすがって泣き、金を罵り続けたため惨殺されるが、その忠節は敵将にまで賞賛される。
張邦昌の擁立
金は張邦昌を新帝に立てるよう宋の百官に迫る。孫傅・張叔夜は署名を拒み抑留されるが、王時雍・吳幵・莫儔らが取りまとめ、閣門宣賛舎人の吳革は邦昌打倒の挙兵を企てるも捕らえられ処刑される。張邦昌はついに金の冊立を受けて即位し、「楚」の帝を名乗る。
楚政権の実態
邦昌は帝を称しつつも東面に立つなど憚る態度を見せ、王時雍ら側近だけが得意げに振る舞う。文書には靖康の年号を除きつつも、呂好問だけは旧年号を用い続けるなど、政権内にも動揺が見られる。
二帝の北送とその悲劇
上皇一行と欽宗一行はそれぞれ北へ連行される。かつて徽宗に寵愛された李師師が別れを告げに現れ、自ら命を絶つ悲話が語られる。道中、宋の宝物・文書・楽器などことごとく金に奪われ、張叔夜も国境を越えたところで絶命する。北送の途上、金の将真珠は徽宗の側室と娘を強引に奪い取るなど、亡国の惨状が続く。
金都での屈辱
徽宗・欽宗は金の太祖廟に参拝させられ、金主に謁見する。金主は徽宗を昏徳公、欽宗を重昏侯に封じ、韓州に幽閉する。ここに北宋は太祖建国以来九代百六十七年で滅亡する。
評語
著者は、北宋の滅亡は金が滅ぼしたのではなく自ら招いたものだと断じる。金軍が汴京を落としてから二帝を北送するまで四、五か月の間があり、金の本意は金品と土地の略取にあったとし、何・吳幵・莫儔・范瓊らが虎の威を借りて二帝と皇族を金の手に引き渡した罪を厳しく糾弾する。都が陥ち大勢が決した時点で社稷に殉じなかったことを恥とし、天子でありながら一妓女にも及ばぬ振る舞いだったと総括する。