宋史演義第二十九回 虜計に中り任福戦歿す/使命を奉じ富弼行を辞す (中虜計任福戰歿  奉使命富弼辭行)

延州の危機と劉平の戦死

元昊は范雍を欺いて油断させ、金明寨を攻略して延州に迫った。劉平・石元孫らが救援に向かうが、都監黄徳和が戦わずして逃亡し、味方の敗色を招いた。劉平・石元孫は孤軍で奮戦するも捕らえられ、劉平は元昊を罵って殺され、石元孫は捕囚となった。大雪により元昊はようやく囲みを解いた。

黄徳和の処罰と范仲淹の登用

黄徳和は劉平の敗北を投降のせいだと誣告したが、文彦博の取り調べで露見し腰斬に処された。范雍も左遷。韓琦の推挙により范仲淹が起用され、仁宗も呂夷簡との和解を仲淹に促した。仲淹は延州に赴任し、兵を訓練し防備を固めたため、夏人は「小范老子(范仲淹)」を恐れ「大范老子(范雍)」のようには侮れないと評した。

主戦・主守の対立と好水川の敗戦

韓琦は主戦、范仲淹は主守を主張し方針が定まらぬ中、韓琦配下の任福が好水川で元昊の伏兵にかかり、鳩に見せかけた罠にはまって大敗、任福・桑懌ら諸将が戦死した。韓琦は自ら責を負い降格された。(詩:好水川で任福が戦没した悲運を悼む内容)

元昊との文書往復と処分をめぐる論争

元昊は范仲淹への返書で不遜な言辞を用い、仲淹は使者の前で書を焼き捨てた。呂夷簡らはこれを越権行為として仲淹の処罰を議論したが、杜衍が仲淹の忠誠を弁護し、呂夷簡も同調したため軽い処分(慶州知事への転任)に留まった。夏竦・陳執中らも西方統括に失敗し、最終的に韓琦・范仲淹・王沿・龐籍がそれぞれ秦鳳・環慶・涇原・鄜延を統括することとなった。仲淹は羌人から「龍図老子」と慕われた。

富弼の契丹交渉

契丹は使者蕭特末・劉六符を送り、関南の旧地割譲と宋の対夏開戦・河川浚渫を詰問してきた。接伴使の富弼は儀礼で使者を圧倒し、増幣や和親での譲歩の可能性を引き出した。呂夷簡の推薦で富弼が正式な報聘使に任じられ、仁宗に「増幣以外は決して譲らない」と誓って北へ出発した。(詩:国難に身命を賭して北行する富弼の忠誠を讃える内容)

評語

北宋には将才が乏しかったことが西夏との戦いで露呈した。夏竦・范雍は凡庸で論外、韓琦・范仲淹も文治の才に優れるのみで武略には限界があった。好水川の敗戦は任福の違令に因るとはいえ、人選の責は韓琦にもある。范仲淹も杜衍の弁護がなければ処罰を免れなかった。専閫の人材難ゆえに契丹にも領土要求の隙を与え、歳幣増額で凌ぐほかなかった。富弼のような弁舌の士がいても、武力の裏付けなき外交には限界があった。