宋史演義第一十五回 巧を弄し拙を成し妹倩辺に殉ず/怨みを修め盟に背き皇弟禍を受く (弄巧成拙妹倩殉邊 修怨背盟皇弟受禍)

瓦橋關の攻防と張齊賢の諫言

  • 遼の耶律沙・耶律斜軫らは敗走し、楊業父子は雁門関へ引き上げ大勝を報告した。遼では楊業を「楊無敵」と恐れ、その旗を見ると引き返すようになった。
  • 遼主賢は自ら出陣して耶律休哥を先鋒に瓦橋関へ侵攻。宋の守兵は油断して迎え撃つも大敗し、莫州へ敗走して休哥に包囲される。
  • 太宗は親征を布告するが遼の撤退を知り引き返す。幽薊攻略を主張する声が強い中、左拾遺の張齊賢は国内政治の充実を優先すべきと諫言し、出師は一旦見送られる。
  • 張齊賢は太祖の代から見込まれていた人物で、太宗の代に登用され、この直言も嘉納された。

交州出兵と侯仁寶の死

  • 前宰相の趙普は不遇の中、妹婿の侯仁寶を交州(現ベトナム北部)に赴任させていたが、政敵盧多遜の妨害を恐れ、交州征討を上奏して仁寶の召還を図った。
  • ところが盧多遜は密かに太宗へ進言し、仁寶をそのまま交州水陸転運使として出兵させてしまう。
  • 仁寶は緒戦こそ勝利したが、味方(孫全興ら)の後詰が進まぬまま黎桓の偽りの降伏を信じて油断し、夜襲を受けて戦死した。趙普は妹婿の死を盧多遜のせいと恨みを深める。

趙普と盧多遜の暗闘、秦王廷美の失脚

  • 趙普が多遜排除の好機をうかがう中、晋邸旧臣らが秦王廷美の不穏な動きを密告し、多遜と廷美の親密さも疑われる。
  • 太宗は趙普を呼んで真相究明を命じ、かつて太祖に託した趙普の弁明書(金匱に保管)が見つかったことで趙普は太宗の信頼を回復。司徒兼侍中・梁国公に任じられ、廷美探索を託される。
  • 趙普は廷美と多遜の内通(多遜の属吏趙白らを介した密書・贈答)の証拠を集め太宗に上奏。太宗は多遜を罷免・投獄し、関係者を厳しく取り調べさせる。
  • 群臣は多遜の斬罪と廷美の連座を求める議を上げ、詔により多遜は死一等を減じられて崖州へ流罪(のち配所で没)、趙白らは処刑、廷美は開封尹を解かれ西京留守に落とされる。
  • 趙普はなお廷美の復権を恐れる者の讒言を利用し、廷美をさらに房州へ流す。廷美は監視の中で病を得て憂死する。
  • 太宗は右僕射沈倫や左僕射薛居正の後任を改め、趙普にも退任を促し、趙普は武勝軍節度使として外任する。
  • 太宗は年号を雍熙と改元。ほどなく廷美の訃報が届き、太宗は表向き哀悼の意を示し涪王を追贈、子息らにも官職を与える。

評語

  • 趙普と盧多遜の私怨が絡み合い、無関係な侯仁寶が巻き添えで命を落とした顛末を惜しむ。
  • 廷美の獄は太祖の金匱の盟約(兄弟継承の約束)に反する太宗の意向に沿う形で趙普が主導したもので、盧多遜排除のついでに廷美も葬り主君の歓心を得ようとした趙普の私心を厳しく批判している。