宋史演義第一回 河洛に神降り奇児世に出づ/弧矢に志を示し遊子郷を離る (河洛降神奇兒出世 弧矢見志遊子離鄉)

開巻の弁――篡奪と因果応報

語り手は、周の恭帝から趙匡胤が禅譲の名目で天下を奪った経緯に触れ、幼帝と若い皇太后から国を奪う様が、後にモンゴル・元の伯顏が南宋の幼帝から国を奪う結末と因果的に呼応していると説く。五代の諸王が悪行多く早く滅んだのに対し、宋は十八代・三百二十年続いた。宋の善政として、女禍・宦官禍・宗室禍・外戚禍・強藩禍のいずれも無かった点を挙げつつ、北宋は兵を抑えすぎて良将を欠き、南宋は宰相の人選を誤って良相を欠いたため、遼・金・元に圧迫され続け、最後は屈服・殉国に至ったと総括する。

香孩児の誕生

後唐明宗天成二年、洛陽夾馬営で異香とともに一人の男児が生まれ、「香孩児」と呼ばれた。父は趙弘殷、後唐・後晋に仕えた武人で、母は杜氏。長男は早世し、この次男が趙匡胤である。

少年時代の気概

匡胤は体に金色の光を帯びていたと伝わり、成長するにつれ容貌雄偉・性格豪放となった。父の武を継いで騎射を好み、母の勧める読書よりも武芸に励んだ。「乱世には武で身を立て、いずれ功を成したい」と母に語り、唐太宗のように武将から身を起こしたいと述べて母を怒らせる場面もある。

暴れ馬を乗りこなす

悪童が持ち込んだ荒馬に匡胤が挑み、手綱も鞍もつけずに乗りこなす。馬が城門に突進し匡胤は額を打って落馬するが、平然と馬を捕まえて乗り直し、周囲を驚かせた。

韓令坤・慕容延釗との交友、雀の一件

同年代の韓令坤・慕容延釗と親交を結び、武芸を磨きあう仲となる。ある日、韓令坤と博打をしていた土室の外で雀が騒ぐのを聞き、二人で弓を持って外に出て雀を射たところ、その隙に土室が突然崩れ落ちた。二人は自分たちの命を救ってくれた雀を悼み、死んだ雀を丁重に埋葬した。

従軍を志し家を出る

やがて後漢の代となり、匡胤は乱世を憂えて従軍を志すが、母に止められる。後漢乾祐年間、父が鳳翔へ出征する間、匡胤は母に無断で家を出て西へ向かおうとするが道を誤り、南の襄陽へ迷い込む。旅費も尽き、日暮れて宿を求めた寺で、僧たちに邪険にされ、一人の僧に足を払われ、もう一人の僧の拳を軽くいなして投げ倒す一幕がある。

老僧との出会い

騒ぎを聞いて現れた品格ある老僧が、若い僧たちを叱りつけ、匡胤を客殿へ案内する。詩では、俗世を超えたこの老僧が真の主君の出現を助ける存在として暗示され、次回で老僧とのやり取りが語られることが予告される。

評語

本回冒頭の総括は、宋一代三百年の事跡の大枠をすでに示しており、通俗小説にありがちな空疎な決まり文句とは一線を画す。後半の趙匡胤の出自の記述は正史に基づき、虚飾を交えないながらも筆致に精彩があり、史書と小説双方の長所を兼ね備えていると評されている。