層檀国・龜茲・沙州・拂菻
- 層檀国は南海のほとり、城は海から二十里。熙寧四年に初めて入貢し、勿巡・古林・三佛齊を経て広州に至る。王は亜美羅亜眉蘭といい、伝国五百年十世に及ぶという。貴人は越布を頭に纏い、法制は軽罪杖・重罪死。稲・粟・麦を産し、羊・牛・槖駝・犀・象を畜う。木香・血竭・没薬などの薬を産し、貨幣は金銅銀の合金を自鋳し私鋳を禁じる。元豊六年、使者層伽尼が再訪し、神宗は遠方であることを念じ白金二千両を加賜した。
- 龜茲はもと回鶻の別種で、王は師子王を自称し宰相九人と共治する。市には銭がなく花蕋布で取引する。西は大食まで六十日、東は夏州まで九十日。天聖から景祐四年まで五度入貢し、最後に仏経一藏を賜られた。熙寧四年・五年に使者李延慶・盧大明篤都が入貢、紹聖三年には大首領阿連撒羅らが表章と玉仏を献じた。
- 沙州はもと漢の敦煌の地。唐天宝末に西戎に陥ったが、大中五年、張義潮がこれを収復し帰順、沙州を歸義軍として節度使に任じられた。義潮入朝後、従子惟深が州事を領し、後梁の頃に張氏の後継が絶えると、州人が長史曹義金を帥に推した。以後、曹氏(義金・元忠・延禄・延瑞・延恭・宗寿・宗允・賢順ら)が代々節度使・刺史として宋への朝貢を続け、大中祥符末に宗寿が卒すると賢順が本軍節度を継ぎ、天聖から皇祐年間まで七度朝貢したと記される。
- 拂菻国は東南は滅力沙、北は海まで四十程、西は海まで三十程の遠方にあり、歴代朝貢の記録がなかった。元豊四年、王滅力伊靈改撒が大首領你厮都令厮孟判を遣わし、鞍馬・刀剣・真珠を献じた。国は寒冷で土屋に瓦を用いず、金銀珠・西錦・牛羊馬・独峰駝・梨・杏・千年棗などを産し葡萄酒を醸す。楽器に箜篌・壺琴・小篳篥・偏鼓がある。王は紅黄の衣に金線織の布を頭に纏い、毎年三月に仏寺に詣でる風習がある。刑罰は杖刑から重罪は毛嚢に入れて海に投じる処刑まであり、貨幣は無孔の金銀銭で表に弥勒仏、裏に王名を鋳る。元祐六年、使者が二度来訪し、玉帛二百匹・白金瓶・襲衣・金束帯が賜られた。