宋史卷四百九十一 列傳第二百五十 流求国

流求国

  • 流求国は泉州の東にあり、彭湖島から烟火が望める距離にある。国は塹と三重の柵、水を巡らせた濠、棘の垣で囲まれ、刀矟・弓矢・剣・鼓を武具とする。月の満ち欠けで時を計り、他に珍しい産物はなく商賈も通じない。土地は肥沃で租税の定めはなく、事あるごとに均等に税を課す。傍らに毗舎邪国があり言語が通じず、裸体で目つき荒く、人類とは異なる者たちとされる。
  • 淳熙年間、流求の酋豪が数百人を率いて泉州の水澚・囲頭などの村を襲い殺掠したことがあった。鉄器と匙筯(さじ・箸)を好み、住民が戸を閉じれば害されないが、門の環(かんぬき)だけは切り取っていく。匙筯を投げ与えれば拾って喜び、鉄の甲を見れば争って剥ぎ取り、討たれても後悔しないという。戦いでは標槍に十余丈の縄を結んで操るが、これは鉄を惜しんで捨てないためとされる。舟楫は持たず竹を縛って筏とし、危急の際は皆でこれを担いで水を泳いで逃げるとされる。