宋史卷四百八十九 列傳第二百四十八 闍婆

闍婆国と南毗国

  • 闍婆国は南海の中にあり、東は海路一月で崑崙国、西は四十五日で大食国方面、北は勃泥国・三佛齊国を経て交阯・広州に至る要衝。土地は稲・麻・粟・豆に適し、租は十分の一。金銀・犀牙・箋沈檀香・胡椒・檳榔・硫黄・紅花・蘇木を産し、養蚕も行う。銀の薄片を貨幣とし、宮殿は金碧で飾られる。王は椎髻に金鈴を戴き錦袍を着け、方牀に座し、官吏は日に三拝する。副王を含む王子三人が輔佐し、宰相格の落佶連四人が国事を治める。刑罰は盗み以外は黄金の贖罪で済み、殺人のみ死罪とされる。
  • 宋の元嘉十二年(南朝宋代)に朝貢した後途絶え、淳化三年、王穆羅茶が陀湛らを遣わして再開した。真珠・玳瑁・檀香などのほか白鸚鵡・七宝飾りの檀香亭子などを献じた。使者の服飾がかつて来た波斯(ペルシャ)使に似ていたと記録される。国と三佛齊の間に敵対関係があったことも記される。大観三年、交阯に準じた礼で入貢が受け入れられ、建炎三年には南郊の恩で闍婆国主に懐遠軍節度使などの官が授けられ、食邑二千四百戸・実封千戸が与えられた。
  • 南毗国は大海の西南、三佛齊から順風で月余りかけて至る国。王の巡行時には兵が水を撒いて颶風を防ぐ風習があり、真珠・番布を産する。最も遠方にあるため商船が稀にしか至らないが、時羅巴智力干父子の一族が泉州城南に居住し、以後この地からの往来が増えた。