三佛齊国
- 南蛮の別種で占城と隣り真臘・闍婆の間に位置し、十五州を管する。紅藤・紫礦・箋沈香・檳榔・椰子を産し金銀で取引する。城壁は甎積み、屋根は椰葉で覆う。文字は梵字と中国文字を併用し、王号は詹卑。唐天祐元年に貢物を献じたのが早い記録で、建隆元年には王悉利胡大霞里檀が李遮帝を遣わして朝貢、以後、歴代の王(室利烏耶・夏池・遐至・思離咮囉無尼佛麻調華ら)が相次いで使者を送った。
- 咸平六年には宋への祝寿のため仏寺を建てたいとの願いに応じ「承天万寿」の寺額と鐘が賜られた。天禧元年、王霞遲蘇勿吒蒲迷が金字の表を奉じ真珠・象牙・梵夾経・崑崙奴を貢いだ。熙寧十年、大首領地華伽囉が来訪し「保順慕化大将軍」の号を賜り、詔書で忠義が称えられた。元豊年間には国王の女(唐字)から市舶の孫逈に書簡が送られる交流もあった。紹興二十六年、王悉利麻霞囉陀が入貢した際、帝は「遠方の慕化の誠を嘉するのであり利のためではない」と述べ、宰相秦檜が受けた献上の真珠代金は国に返還された。淳熙五年、貢使は闕下への出頭を免じられ泉州の館に留められた。