宋史卷四百五十七 列傳第二百十六 何羣

賦八百篇を焼く

  • 何羣、字は通夫。果州西充の人。古学を好み議論を好んだ。慶暦中、石介の太学で学び学長格として自克厲、古の衣冠の復古と、賦による科挙選抜の弊害を上書した。石介は賛同し諫官・御史も同調したが、朝廷は「進士科は隋唐以来の実績があり廃せない」として却下。
  • 何羣は慟哭して平生の賦800余篇を焼き、太学を退いてついに進士を求めなかった。嘉祐中、龍図閣直学士何剡の推薦で「安逸処士」の号を賜った。没後、趙抃が何羣の遺稿を朝廷に上げるよう願ったが実現しなかった。