宋史卷四百五十五 列傳第二百十四 楊宏中
六君子の上書
- 楊宏中、字は充甫。福州の人。国子生。趙汝愚の罷免に抗議した李祥・楊簡が斥けられると、林仲麟・徐範・張衜・蒋傅・周端朝ら5人と共に上書、韓侂胄一派の専権と朋党の弊を論じ趙汝愚の忠を弁護、李沐の弾劾を求めた。上書は取り上げられず、6人は編置処分となり、宏中は嶺南配流を命じられたが、右丞相余端禮の嘆願で太平州編管に減刑された(「六君子」と称された)。
- 翌年福州に移され、のち赦免。開禧元年進士登第、教授などを歴任したが同僚との軋轢で潭州通判に左遷され53歳で没した。
周端朝・張衜・林仲麟・徐溥(附伝)
- 周端朝、字は子静。嘉定3年礼部試首席、刑部侍郎兼侍講に至った。張衜、字は用叟。父の任官で補官、子2人も進士登第。林仲麟、字は景仲。徐溥、字は象夫。いずれも長く学校に籍を置き忠実さで知られたが不遇のうちに没した。徐範は別に伝がある。