宋史卷四百五十五 列傳第二百十四 呂祖泰

上書と刑罰

  • 呂祖泰、字は泰然。呂夷簡5世孫、常州宜興に寓した。学問広く気節を重んじ、財を惜しまず率直な言論で知られた。慶元初、貶謫された祖儉を見舞い、「兄の貶謫で人々が口を閉ざす中、いずれ自分も言をもって国に報いる」と語った。
  • 祖儉の没後、周必大が少保に降格されたことに憤り、登聞鼓院に上書して韓侂胄の「無君の心」を弾劾、誅殺と陳自強・蘇師旦・周筠らの罷免を求めた。上書は「語言狂妄」とされ連州に拘管、杖罰百・欽州牢城配となった。尹の懐柔にも屈せず「必死を覚悟の上での上書」と述べた。侂胄誅殺後に赦免され復官したが、母の喪と生活困窮の中で没した。