宋史卷四百四十九 列傳第二百八 髙稼

沔州に死す

  • 髙稼、字は南叔。卭州蒲江の人。真徳秀に国士と評された。嘉定7年(1214年)進士。成都尉、九隴丞を経て制置使崔与之の下で幹弁公事となり、鄭損の会子廃止政策の弊害を私費で軽減した。飢饉時には私財で粟を買い民を救った。
  • 損の失政を弟の高了翁が朝廷に訴えると劾せられ罷免。桂如淵の下で沔州通判、洋州・沔州知事などを歴任し、三関・五州を要とする防衛策、山砦84か所の建設、義兵5000人の募集を行った。
  • 制置司との連携で各州の防衛を統括し、沔州陥落後は黄金渡に拠って敗残兵を集めた。汪剛中の讒言で罷免されるも李心傳の弁護で復官、閬州知事・沔州知事などを歴任。
  • 端平年間、金の侵攻が進む中、退却論に反対し「進むあって退くなし」と主張。沔州守として金軍の攻撃を受け、城陥落時に「監司として城郭を守る、志を貫く」と叱咤し包囲の中で戦死。龍図閣直学士・諡忠を贈られた。子の高斯得は執政に至り別伝あり。著書に『縮斎類藁』30巻。