宋史卷四百四十九 列傳第二百八 曹友聞

陽平関に死す

  • 曹友聞、字は允叔。同慶栗亭の人。武恵王曹彬の12世孫。宝慶2年(1226年)進士。緜竹尉から天水軍教授。城が包囲された際、単騎で入城し守将張維と共に戦い撃退した。
  • 私財を投じて忠義軍5000人を募り、仙人関・七方関などの防衛を歴任。制置使李&KR1033;の下で天水軍知事、利州駐劄御前諸軍統制などを歴任し、幾度も金軍を撃退。
  • 端平初年、階州・青野原などの防衛戦で功を挙げ、眉州防禦使・沔州駐劄など要職を歴任。金の西夏・女真・回回・吐蕃・渤海軍50余万の来攻に対し「衆寡敵せず、要害に拠って奇襲せよ」と弟の曹万と共に流渓での夜襲を計画。
  • 大雨の中、龍尾頭での激戦の末、鉄騎に包囲され「これも天命か」と叫び、自らの馬を殺して死を明らかにし、弟と共に戦死した。金の将汪世顕もその武勇を惜しみ盛大に祭った。龍図閣学士・諡節を贈られ祠「褒忠」を賜った。