宋史卷四百四十九 列傳第二百八 楊震仲
呉曦の乱に死す
楊震仲
- 楊震仲、字は革父。成都府の人。淳熙2年(1175年)進士。閬州新井県知事などを経て興元府通判、大安軍権知事。呉曦の反乱の招きを固辞し「西蜀第一の州が降れば他郡もなびく、拒めば死ぬのみ」と述べ服毒死した。享年不明。蜀の義士はこれに奮起し呉曦誅殺の契機となった。朝奉大夫を贈られ廟「旌忠」・諡「節毅」を賜った。
史次秦(附伝)
- 史次秦、眉山の人。呉曦の招きを避けるため目に石灰と桐油を塗り病を偽り、老母の機転で危機を逃れた。呉曦誅殺後、利路主管文字から合州太守に至った。
郭靖(附伝)
- 郭靖、高橋の土豪、巡検。呉曦の乱に際し民を導いて逃れさせたが、自らは漢の衣冠を捨てられず投江して死んだ。