宋史卷四百四十九 列傳第二百八 崔縱
金への使者
崔縱
- 崔縱、字は元矩。撫州臨川の人。政和5年(1115年)進士。確山主簿、仙居丞などを経て承議郎・幹辦審計司。二帝北行後、高宗が使者を送ろうとしたが誰も応じない中、崔縱は自ら志願した。
- 朝請大夫・右文殿修撰試工部尚書として金に赴き、大義を説いて二帝の返還を求める書を三度送った。金は怒り縦を辺境へ流し、南使としての帰国を許されても二帝の件が未解決として帰らず、官爵の誘いにも応じず憤りのうちに病を得て節を守ったまま死んだ。洪皓・張邵の帰国後、遺骨も戻り、兄の子を後継とした。
呉安国(附伝)
- 呉安国、字は鎮卿。処州の人。太学進士から考功郎官。太常少卿として金への使者となり、盟約破棄で抑留・威嚇されても屈せず「頭は得られても節は奪えぬ」と拒み続け、のちに帰国を許され袁州知事で没した。