宋史卷四百四十九 列傳第二百八 林沖之
北地に幽閉され死す
林沖之
- 林沖之、字は和叔。興化軍莆田の人。元符3年(1100年)進士。御史台検法官、大宗正丞、金部郎などを経て臨江・南康を守った。靖康初年、主客郎中として陳過庭に副して金への使者となり抑留された。
- 宇文虚中の投降勧誘にも屈せず、奉聖州・上京・顕州と流され、10余年幽閉されながら義を守り続け、72歳で「国讐未復」を悔いつつ死んだ。洪皓の帰国報告により子に官が与えられた。
郁・震・霆(附伝)
- 子の林郁、字は襲休。宣和3年(1121年)進士。建州の兵乱鎮圧中に殺された。
- 従子の林震、字は時旉。崇寧元年(1102年)進士、秘書少監に至った。
- 林霆、字は時隠。政和5年(1115年)進士。紹興和議への反対を貫き、権臣に憎まれ廃された。莆田の人はこれを忠義と称え、宝慶3年(1227年)祠を建て、宝祐年間に祭祀田100畝が給された。