宋史卷四百四十八 列傳第二百七 陳求道
咸寧の人
- 陳求道、字は得之。咸寧の人。進士に及第し都水監判官。二帝の郊外行幸・和議に反対したが聞かれず、康王への元帥授与を進言した。蝋書を携えて康王のもとへ赴いた8人中、陳求道の使者以外は皆殺しにされた。
- 張邦昌政権下、病と称して出仕せず、開封尹の召しにも屈しなかった。二帝の連行を憂い自殺を図るも救われた。宗沢の命で陳留の黄河決壊を7日で修復した。
- 建炎4年(1130年)襄鄧随郢鎮撫使に任じられるも兵糧不足で赴任できず、乱兵に一家を連行され、賊が南走の首領に立てようとしたが正色して拒否。妻の蔡氏と子2人を殺され、自身も口を裂かれ舌を断たれて死んだ。子の陳凱のみ山中に逃れ生き残った。