宋史卷四百四十八 列傳第二百七 劉汲

鄧州に死す

  • 劉汲、字は直夫。眉州丹稜の人。紹聖4年(1097年)進士。合州司理、武信軍推官、開封府鄢陵県知事などを歴任。神霄宮に関する命令に従わず左遷されたが、妖言事件の冤罪を防ぐなど公正な裁きで知られた。
  • 開封府推官として濫刑を繰り返す尹に諫言し、宰相王黼を批判して蓬州税監に左遷。欽宗即位後、京西転運副使として鄧州に赴任。范致虚への出兵進言、金軍の和議偽装を見抜き高公純に急進を説いた。
  • 二帝北行後、鄧州で戦守の備えを整え、直龍図閣・鄧州知事兼京西路安撫使。金将銀朱の攻撃に対し「金人が来れば必ず死ぬ、共に死ねる者はいるか」と将吏に問い、決死隊400人を得て防戦。敗色濃厚となっても「安撫使がここにいることを敵に知らしめ、国のために死ぬ」と退かず戦死した。大中大夫・諡忠介を贈られた。