宋史卷四百四十八 列傳第二百七 曾怘
越州に死す
曾怘
- 曾怘、字は仲常。中書舎人曾鞏の孫。太学内舎生から司農丞・温州通判を歴任。建炎3年(1129年)金軍が越州を陥落させ、巴拜(婆盧火)が文武官全員に出頭を命じた際、怘は応じず捕らえられた。
- 巴拜の前で「国家に何の負い目もないのに盟を破り天を欺く。宋の世臣として尺寸の力で国に殉じられぬのが恨みだ」と罵り、家族40人が同日殺された。金人退去後、越人が屍を窖に埋め、弟の朝散郎曾&KR1556;が骨を天柱山に葬った。3人分の恩澤官が贈られ、弟の子・甥にも官が与えられた。難を逃れた孫の曾崈は乳母に救われ、後に南安軍知事となった。
曾悟(附伝)
- 曾悟、字は蒙伯。翰林学士曾肇の孫。宣和2年(1120年)進士。亳州士曹のとき金軍に破れ捕らえられ、罵り続けて乱刃に遭い遺体も残らなかった。妻子も同日殺された。享年33。