宋史卷四百四十八 列傳第二百七 鄭驤
同州に死す
- 鄭驤、字は潜翁。御史中丞鄭誨の末子。元符3年(1100年)進士。溧陽県知事として飢饉の際の税制を改革し民を救った。建康の運河開削計画の弊害を分析し中止させた。慶陽府経略司属官として熙河の城郭修築を進言し、機灘に新堡600歩を築いた功で緋衣銀魚を賜った。
- 唃廝囉氏の帰属を巡る童貫の欺瞞を見抜き弾劾しようとしたが事なきを得た。京兆府等路提挙常平として『常平総目』10巻を編纂、豊作時に米60万斛を買い付けた。
- 高宗即位後、直秘閣・同州知事兼沿河安撫使。長安を都とすべしとの進言、楚泗汴洛から陝華への防衛連携策を上奏したが用いられず。金将羅索の同州・韓城侵攻に対し兵を出したが敗れ、通判以下が逃亡する中「太守は死を守るのみ」と言い、城陥落の翌日、井戸に投身して死んだ。通議大夫・枢密直学士・諡威愍を贈られた。
- 熙河在任中に『拓辺録』10巻、『別録』80巻、『河隴人物志』10巻、『蕃譜系』10巻など多くの著作を残した。