宋史卷四百四十四 列傳第二百三 李公麟
生涯
- 李公麟、字は伯時。舒州の人。進士に及第し南康長垣尉・泗州録事参軍を経て、陸佃の推薦で中書門下後省刪定官・御史検法。古学を好み博学、詩に優れ奇字に通じ、夏商以来の鐘鼎尊彜の世次を考定するのに巧みで欵識を弁じ、逸品を見ると千金を惜しまなかった。
- 紹聖末、朝廷が得た玉璽の真贋について諸儒の意見が分かれる中、公麟は「秦の璽は藍田玉を用いた、この玉は青く、龍蚓鳥魚の文を持ち帝王受命の符に相応しく、玉質は堅く昆吾刀と蟾肪でなければ加工できず、雕琢の法が今絶えていることからも真に秦の李斯の作である」と論じ、この判定で議論が定まった。
- 元符三年、痺の病により致仕し、龍眠山の巌壑に遊び「山荘図」を描いて世の宝とされた。人物画に優れ、識者は顧愷之・張僧繇に亜ぐと評した。襟度は名士から称賛されたが、絵で名を得たがゆえに世は専ら芸術家として伝えたと評される。