宋史卷四百四十四 列傳第二百三 倪濤

生涯

  • 倪濤、字は巨済。広徳軍の人。幼くして文才があり博学強記、15歳で太学試首席、進士に及第し廬陵尉・信陽教授から太学正・祕書省校書郎・著作佐郎・司勲左司員外郎。燕雲の地への出兵が朝廷で議論された際、大臣は保身から反対を口にできない中、濤は独り「景徳以来の遼との盟約は破るべきでない、天下は久しく平和で兵は戦を知らず、軍需も乏しい、後患を招くだけだ」と論じたところ王黼は「軍事を妨げるのか」と怒り、言者に「妄言を撰造した」と弾劾され朝臣県酒税監に貶され、さらに茶陵船場に転じ39歳で没した。翌年、金軍が都に侵攻すると濤の言が思い出され、子一人に官が授けられた。『雲陽集』が世に伝わる。