宋史卷四百四十四 列傳第二百三 劉詵

生涯

  • 劉詵、字は応伯。福州福清の人。進士に及第し莆田主簿・知廬江県。崇寧中、講議司検討官から軍器・大理丞、大晟府典楽。音律に通じ、歴代雅楽の因革と宋の制作した音の由来を明らかにしたことで楽事を委ねられ、周官の大司楽が淫声慢声を禁じたこと(孔子のいう鄭声の排斥)に言及し、当時の燕楽が高急に傾き曲調が卑俗であることを憂え、宋は火徳であるから徴音を尚ぶべきで五声のうち徴を欠くことはできないと論じた。徽宗はこれを是とし、五声のうち一つも欠けてはならないと述べ、詵に楽事の管掌を委ねた。
  • あるとき禁中から出た古鐘二口の鑑定を命じられ、太簇大呂の声に合うことを確認し、大晟鐘を叩いて響き合うことを実証、さらに鐘の余韻が石声(磬)に及ばぬことを述べ「詩に依我磬声とあるのは清く定まった音を言う」と論じ、石の音との調和を取った。宗正・鴻臚・衛尉・太常寺少卿を歴任し『大中因革礼』の編纂を続けている最中に没した。母の喪に礼を尽くし、墓の側に双芝が生えたことから孝感と評された。