宋史卷四百四十四 列傳第二百三 米芾

生涯

  • 米芾、字は元章。呉の人。母が宣仁后の藩邸に仕えた旧恩で浛洸尉に補され、知雍丘県・漣水軍・太常博士・知無為軍を歴任、召されて書画学博士。便殿で対顔した際、子の友仁の作「楚山青暁図」を上進し礼部員外郎に抜擢、出て知淮陽軍で49歳で没した。
  • 文は奇険で前人の型を踏まず、特に書画に長じ王献之の筆意を得て沈着かつ飛翥、山水人物画は一家をなし摸写は真贋を分かたぬほど精妙であった。鑑識に優れ、古器物・書画に出会うと極力求め手に入れるまでやまなかった。王安石はその詩句を扇に書き、蘇軾もその評判を喜んで広めた。冠服は唐人風で風神蕭散、行く先々で人々に囲まれ見物された。
  • 潔癖症で他人と器物を共用しなかった。無為州治にあった巨石の異形を見て「これぞ拝すべき相手」と喜んで衣冠を整えて拝礼し「兄」と呼んだ逸話がある。世俗に迎合しない性格で仕途は困難であったが、詔により黄庭経の小楷にならって「周興嗣千字韻語」を作り、宣和殿に招かれ宮中所蔵の品を見る恩寵を受けた。
  • 子の友仁、字は元暉。学を好み古を愛し、書画にも優れ「小米」と称された。官は兵部侍郎敷文閣直学士に至った。