徐夢莘(弟の得之、従子の天麟は附伝)
- 字は商老、臨江の人。幼少より博識で、経史から稗官小説まで暗誦した。紹興二十四年進士、南安軍教授を経て、知湘陰県として湖南帥の増税策に反対し(新田がないため増税の根拠がないと主張)、帥に嫌われたが後に評価された。
- 広西転運司文字主管として、二広(広東・広西)の塩法改革(官般法から客販法への変更)に反対したが受け入れられず、後にその弊害(民の塩不足)が的中し、官般法に戻された。
- 靖康の乱で四歳の時に母に背負われ避難した経験から、乱の顛末を究めようと旧聞を集め『三朝北盟会編』三百五十巻を編纂した(政和七年の海上の盟から紹興三十一年の完顔亮の死まで四十五年間、勅・制誥・詔・国書・書疏・奏議・記序・碑志を網羅した)。皇帝に称賛され直祕閣に任じられた。享年82。
- 著書に『集補』『会録』『読書記志』『集医録』『集仙録』がある。
- 弟・徐得之は字を思叔といい、淳熙十年進士、廉吏として通直郎致仕した。著書に『左氏国紀』『史記年紀』『具敝箧筆略』『鼓吹詞』『郴江志』がある。
- 従子・徐天麟は字を仲祥といい、開禧元年進士、湖広総領所幹辦公事等を歴任した。著書に『西漢会要』七十巻『東漢会要』四十巻『漢兵本末』一巻『西漢地理疏』六巻『山経』三十巻がある。致仕後、厳子陵像を祀る亭を築いた。