湯漢
- 字は伯紀、饒州安仁の人。柴中行・真徳秀に評価され賓客として遇された。趙汝談・趙汝騰の推薦で象山書院堂長、正奏名で上饒県主簿となった。
- 史館校勘、国史実録院校勘。水害に応じた上封事では君心の敬・肆が天の喜怒を招くと論じ、火災に応じた上封事では天下を私恩・私親・私人・私令・私財に流用せず公とすべきと説き、近習偏重の弊害を批判した。
- 太学博士として転対で、太祖の天下を壊した者として蔡京・王黼、高宗の天下を壊した者として鄭清之を挙げ、根本の強化と苟安の戒めを説いた。
- 秘書省校書郎、皇太子冠礼で太常博士として賛受命、冠箴を進呈した。秘書郎として転対で辺事について君主の清心無欲・大臣の公心無我を説いた。
- 福建常平提挙として福州守史嵓之・泉州守謝埴を弾劾した。礼部郎官兼太子侍読、福建運判、知寧国府、江西常平提挙兼知吉州、江東運判、知隆興府を歴任し、尚左郎官兼太子侍読兼玉牒所検討官として端本澄源・公道の実践を説く上奏を行った。
- 太府少卿として、かつて排斥した宦官(董宋臣)が再び用いられることの危険性を強く批判する上疏を行った。太常少卿を経て知福州福建安撫使、知隆興府。
- 度宗即位後、太常少卿兼国史院編修官等、起居郎兼侍読として敬心を保ち先帝への孝を全うすることを説く上奏を行った。中書舎人権兵部侍郎、華文閣待制知寧国府を経て刑部侍郎兼侍読、龍図閣待制知福州福建安撫使、知太平州、権工部尚書兼侍読、顕文閣直学士提挙玉隆宮、華文閣学士を歴任し、端明殿学士で致仕した。享年71、諡は文清。
- 評: 潔白で節操があり、進取の欲に淡泊であった。文集六十巻。