宋史卷四百三十二 列傳第一百九十一 孫復

孫復

  • 字は明復、晋州平陽の人。進士不第、泰山に退居し春秋を学び『尊王発微』12篇を著した(陸淳の説を本としつつ新意を加えたもの)。石介が山東で名を成して以来、皆孫復を「先生」と仰いだ。40歳で未婚のまま、李迪がその賢を知り弟の子を妻に娶らせようとし、石介ら門人の説得を経て孫復は承諾、孔道輔もその賢を聞いて訪ねた。石介は師の左右に立ち侍って昇降を助けるほど恭しく仕え、「孫先生は隠者ではない」と語った。
  • 范仲淹・富弼が経術に優れ朝廷に用いるべきと推薦し、秘書省校書郎・国子監直講。太学行幸の際緋衣銀魚を賜り邇英閣祗候説書に召されたが、楊安国が講説が先儒と異なると讒言し罷免された。孔直温の謀反事件で孫復の詩が発見され虔州監税に貶謫、泗州、知長水県、応天府判官事簽書、通判陵州(赴任前)を経たが、趙槩ら十余人が「経を人師とすべき者を州県の佐に用いるべきでない」と留任を求め、直講に留まり殿中丞に転じて卒し、銭10万を賜った。胡瑗と不仲で太学では互いに避け合ったが、瑗の治経は孫復に及ばずとも教育の面では勝ったという。病の際、韓琦が仁宗に言上し、門人祖無擇が遺著15万言を録して秘閣に収め、一子に官が与えられた。