宋史卷四百三十二 列傳第一百九十一 高弁
高弁
- 字は公儀、濮州雷澤の人。弱冠で徒歩して种放に終南山で師事、また柳開に古文を学び張景と斉名した。至道中、文をもって王禹偁に謁し評価され、進士に累進、侍御史となり玉清昭応宮の造営を諫めて知広済軍に左遷された。戸部判官として開封府の進士試験を監督した際、私かに糊名を発いた罪で二官を奪われた。知単州・邢州、塩鉄判官。河決澶州の際、堤防を緩めて水を流し民力を省き契丹への備えとすることを提議したが議は止まった。知陝州で卒。
- 孝友の性で、文章は多く六経・孟子に基づき、『帝則』3篇が世に伝わった。李迪・賈同・陸参・朱頔・伊淳と友善で、石延年・劉潜はいずれもその門人であった。