宋史卷四百二十五 列傳第一百八十四 危昭徳

経歴

  • 危昭徳、昭武の人。寶祐元年(1253年)進士。史館検閲校勘・武学諭・宗正寺簿兼崇政殿説書を歴任し、祕書郎に遷り、国の命は民にあり民の命は士大夫にある、士大夫が廉でなく民の膏血を脧れば民は堪えられなくなると疏言した。荒政の緩急・苛賦の停止による寛政の必要も説いた。
  • 考課の重要性を訴え、内は弾糾の職に、外は監司郡守の考察に責任を負わせ、貪濁昏庸は必ず懲らし廉能正直は勧めるべきと論じ、兼侍講として、民は邦の命脈であり民生を厚くするには民力を寛くすべきと説き、厲民四弊を条上した。倹約と貯蓄の必要性、財政・貿易・法令の整備を説き、輪台の詔のような境界にとらわれない改革を求めた。
  • 起居舎人兼国史編修実録検討、殿中侍御史侍御史として宗陽宮造営を諌め、権工部侍郎兼同修国史実録院として致仕を特に許され一官を転じた。経筵で『易』『春秋』『大学衍義』を進講し規正するところが多かった。著書に『春山文集』。子の徹、孫の危咸は咸淳元年(1265年)進士。