宋史卷四百二十五 列傳第一百八十四 陳塏

経歴

  • 陳塏、字は子爽。嘉興の人。京湖制置使司主管機宜文字、知徳安府、江西提点刑獄、提挙千秋鴻禧観、司農寺丞、知安慶府、湖南提点刑獄、右司郎官、知隆興府江西安撫使、知江州主管江西安撫司事、右司郎官、浙西提点刑獄、司農少卿、祕閣修撰知慶元府兼沿海制置副使、大理卿、右文殿修撰知平江府兼淮浙発運使、太府卿、司農卿、権工部侍郎兼同詳定敕令官兼中書門下省検正諸房公事を歴任。
  • 入奏して世道の枢機を転じ士大夫の廉恥を励まし、名義を重んじ利禄を軽んじさせるべきこと、久しく国を去る者が恬退で聞こえれば召され、久しく朝に立つ者が更迭を請えば従われ、甘言容悦の者は必ず斥け真情で閑を求める者は留めないという方策を提言、従臣が地方の憲漕を兼ねる際の制度改革も自ら発案した。
  • 集英殿修撰知婺州、知太平州兼江東転運副使として災傷の郡に蠲放を求め、戸部侍郎淮東総領、提領江淮茶塩所として公帑を出して三県の折絲帛銭五十万九千三百六十余貫を代納、浮淮書堂を建てて両淮の民を教育した。顯謨閣待制知広州、権兵部尚書、寶章閣直学士知婺州、権戸部尚書時暫兼吏部尚書、寶文閣学士知潭州兼湖南安撫使を歴任し、龍図閣学士から端明殿学士に至り、咸淳四年(1268年)卒し諡清毅。歴任先で軍民に愛され、士を薦めることを楽しみとした。著書に『可齋瓿藁』二十巻。