宋史卷四百二十五 列傳第一百八十四 馮去非
経歴
- 馮去非、字は可遷。南康都昌の人。父の椅、字は儀之で家居して弟子を教え、『易』『書』『詩』『語孟太極図西銘』の注釈や孝経章句・喪礼小学・孔子弟子伝・読史記・詩文志録など二百余巻を著した。去非は淳祐元年(1241年)進士。淮東転運司幹辦として儀真の欧陽修東園を、使者黄濤が仏寺にしようとするのを、既に薦挙が約されていたにもかかわらず力争して拒み、寧ろ受けまいと使者に告げて謁告し去った。
- 寶祐四年(1256年)宗学諭に召され、丁大全が左諫議大夫となった際、三学諸生が叩閽して不可と訴え帝が下詔で禁じ石に刻ませたが、去非は独り碑への署名を拒み、監察御史呉衍・翁応弼の弾劾で諸生が下獄した際も宗学生の逮捕を庇った。大全が簽書枢密院事参知政事となり蔡抗が去国すると、去非も言論により罷免された。帰る舟が金焦山に泊まった際、僧が接近し大全の意を伝え「しばらく待てば召還される」と誘ったが、去非は正色して「程丞相・蔡参政が私をここまで牽制した、今帰れば廬山で二度と仕えぬ」と告げ、以後言葉を交わさなかった。