宋史卷四百二十四 列傳第一百六十三 趙逢龍
経歴
- 趙逢龍、字は応甫。慶元之鄞の人。学に刻苦し淹博純実。嘉定十六年(1223年)進士。国子正、太学博士、興国・信・衢・衡・袁五州の知事、広東・湖南・福建常平提挙を歴任。赴任先では供張を撤去し蔬飯で公務にあたり、政務は寛恕を旨とし、羨余を平糴の資に充てた。将作監、宗正少卿兼侍講として道徳性命・禮楽刑政を上疏、藁は焼き棄てた。88歳で家で卒した。
- 講道の門下からは丞相葉夢鼎ら鉅公名士が輩出。夢鼎が師門の狭さを拡張しようとしたが「隣里が驚くなら我が心にとって咎あることだ」と拒んだ。寡欲で名を好まず、子孫への訓えは「学行の進まぬことを憂え、飢寒は憂えない」であったという。