宋史卷四百二十二 列傳第一百八十一 梁成大

経歴と讒言

  • 梁成大、字は謙之。福州の人。開禧元年(1205年)進士。素より苟賤で恥を知らず、県令として史彌遠の家幹万昕に諂った。昕が真徳秀を撃つべしと言うと成大は「自分が台に入れば必ず処理できる」と応じ、揚州通判、宗正寺簿、寶慶元年(1225年)冬の転対で「大佞似忠、大辨若訥」と論じ、暗に真徳秀・魏了翁らを指して批判した。
  • 監察御史に拝されると魏了翁の追竄を「罪に比べ罰が軽い」として弾劾、真徳秀を「狂僭悖繆、了翁に劣らず」と貶め、削秩貶竄を求めた。ある時、徳秀を衡陽に流す議が伝わったが帝は「孔子は已甚を為さず」として二秩の鐫のみに止めた。翌年、楊長孺の新命を停め、徐瑄を三秩追奪し象州に移し、胡夢昱を欽州に編管させた。
  • 右正言、左司諫、宗正少卿、権刑部侍郎を歴任するが夜の御旨で黜けられ、莫沢と対立して祠命が止まった。端平初、洪咨夔・呉泳が交章して弾劾し二秩を鐫され泉州居住、王遂の弾劾で再び潮州に移された。
  • 天性は暴狠険巇で忠良を賊害することを厭わず、四方からの賄賂を堂廡に並べ客に見せびらかした。宇文氏の賜第を強奪し訴訟が百件を超え、竄せられる日、朝命でその廬が壊された。小人と評される李知孝ですら「成大と同伝に書かれるのは堪えない」と語ったという。