宋史卷四百二十一 列傳第一百八十 家鉉翁

出自と経歴

  • 家鉉翁、眉州の人。廕補で任官し、知常州の政声よく、浙東提点刑獄、大理少卿、直華文閣祕閣修撰充紹興府長史、枢密都丞旨知建寧府兼福建転運副使、権戸部侍郎兼知臨安府浙西安撫使、戸部侍郎権侍右侍郎兼枢密都丞旨を歴任し、進士出身を賜り端明殿学士簽書枢密院事に至った。

節義の逸話

  • 元軍が近郊に迫った際、丞相呉堅・賈餘慶が檄を発して天下の守令に降伏を告げたが、鉉翁は唯一これに署名しなかった。元帥が拘束しようとしたとき「中書省の執政を縛る理はない」と拒んだ。
  • 呉堅が元に和議を上表する際、鉉翁を随伴させたが、礼が成った後も宋の命令が届かず館に留められた。宋滅亡を聞き数ヶ月食を絶って哭泣した。元は彼の節義の高さを尊び高官に登用しようとしたが、二君に仕えずと固辞し、詭対もしなかった。
  • 宋の三宮が北遷された際、鉉翁は旧臣を率いて出迎え、地に伏して涙を流し「奉使に至らず主上の意を動かせず国を保存できなかった」と自らを責めた。見る者は皆歎息した。
  • 文天祥の妹が兄の罪に連座して官奴とされていたのを、私財を投じて贖い出し兄璧のもとに帰した。
  • 鉉翁は容貌魁偉、身長七尺、態度は儼雅。学は春秋に精通し「則堂」と号した。河間の館に移されると春秋を弟子に教授し、しばしば宋の故事や興亡の理由を語り涙を流したという。
  • 元の成宗即位後に放還され、処士の号と金幣を賜ったがこれを辞退し、その後数年で天寿を全うした。