薛極(字會之)
- 常州武進の人。父の任により上元主簿に補せられ、詞科に及第し大理評事・温州通判・広徳軍知事を歴任、参知政事楼鑰の推薦により大理正・刑部郎官・司封郎中・権右司郎中に進み、右司郎中兼提領雑売場寄椿庫兼勅令所刪修官・中書門下省検正諸房公事兼刪修勅令官を兼ね、司農卿兼権兵部侍郎を拝命、のち真の官となる。
- 嘉定八年(1215年)顧諟(天の顧命)の難を深く思い競業の念を懐き、帝徳に問題がないとして修養を怠らず、天災は代々あるものだとして実政を疎かにせず、綱紀を挙げなお至らぬ点を求め徳沢を敷きなお周く思いを及ぼすべきと疏言、今日の災いに遇う警懼の心を永く戒めとすべきと説いた。権刑部尚書に転じ、のち戸部尚書試兼権吏部尚書、のち真の官、時暫兼権戸部尚書、十五年(1222年)同進士出身を特賜され端明殿学士・簽書枢密院事を拝命、紹定元年(1228年)参知政事兼同知枢密院事、のち知枢密院事兼参知政事、毗陵郡公に封ぜられ、観文殿大学士・紹興府知事兼浙東安撫使、端平元年(1234年)少保・和国公を加え致仕、死去。