宋史卷四百十二 列傳第一百七十一 杜杲
出自と初任
字は子昕、邵武の人。父杜頴は江西提点刑獄。海門買納塩場の任を授かる前、福建提点刑獄陳彭寿の下で県尉を摂し、冤罪を晴らした。滁州が兵に攻められた際、単騎で救援に赴き城を守り抜いた。
淮西での軍功
知安豊軍・知濠州として趙善湘の盱眙奪還策を助け、金の降兵を殺さず礼を以て遇した。淮西転運判官として大元軍の南下に備える策を上奏、内実を虚しくして外に走らぬよう警告した。安豊城で大元軍と大戦を二度戦い抜き、丞相李宗勉・参知政事徐栄叟に「淮西の帥は杜杲に勝る者なし」と評された。
建康府での防衛と晩年
淮西制置副使・沿江制置使知建康府として真州で大元軍と交戦し勝利。程頥の祠を修め、張栻ゆかりの地に祭祀を興した。梁成大・史嵩之の姦党の登用を拒み、致仕後に龍図閣を贈られ卒した。文章に優れ書芸にも秀で、晩年は理学に専念した。
杜庶――杜杲の子
字は康侯。父の軍務に従い若くして戦功を立てた。安豐防衛で協力し、廬州の囲みを解いた戦功による恩賞を辞退した。知真州・知和州・両淮制置司参謀官などを歴任し、大元軍と望仙・白沙城で交戦。両淮制置使知揚州として射陽湖の飢民の乱を鎮撫し、江西転運副使を務め卒した。