宋史卷四百十一 列傳第一百七十 朱貔孫

出自と丁大全批判

字は興甫、浮梁の人。淳祐四年(1244年)進士。丁大全の専横に対し「積陰の道を回すには姦邪を退け実を篤くし米税を蠲すべし」と丞相董槐に書を送った。宦官董宋臣の専権を胄子試策で厳しく批判し、罷免された。

監察御史としての活動

理宗に抜擢され監察御史兼崇政殿説書となり、丁大全の姦を弾劾。人材の登用・辺備の強化・遷都論への反対を説いた。太子左諭徳として太子輔導に尽力し、公田政策の弊害を糾した。長星が現れた際は外戚・内臣・進奉の弊を痛論し、理宗を感動させた。

度宗朝と賈似道との対立

賈似道の専権を憂え、公田政策を経筵で密かに批判し続けたため深く忌まれた。理宗崩御後、右諫議大夫に擢用されるも辞し、知寧国府・知袁州を歴任、租税の弊を除いて民を安んじた。知福州福建安撫使在任中に卒し、四官を贈られた。著書に文集・奏議がある。