宋史卷三百八十九 列傳第一百四十八 顔師魯
出自と初任
- 字幾聖、漳州龍渓の人。紹興年間進士及第。莆田・福清県知事として水利・訴訟整理・救荒に功績を挙げ、常平使鄭伯熊・帥陳俊卿の推薦を受けた。
監司としての治績
- 江東提挙として天変を機に政令の是正を求め、浙西で役法の弊害を正し、塩課の未納を整理した。監察御史として権貴の推薦を退け、太府少卿・国子祭酒を経て学規を厳しくした。
礼部・吏部と晩年
- 礼部侍郎・吏部尚書兼侍講を歴任し、高宗の喪儀の典礼を尤袤・鄭僑らと共に定めた。金への遺留礼信使として簪花・作楽の強要を拒み通した。泉州知事として三年治め、紹興四年(原文ママ、紹熙四年〈1193年〉の誤りか)享年75で没した。嘉泰二年、諡定粛。