宋史卷三百八十 列傳第一百三十九 羅汝楫

岳飛弾劾から御史中丞へ

  • 羅汝楫、字は彦済、徽州歙県の人。政和2年(1112年)進士、登聞鼓院、大理丞・刑部員外郎を歴任し、公罪連座の緩和や口減少に伴う養子禁令の緩和を建言した。
  • 監察御史・殿中侍御史として御史中丞何鑄と共に岳飛の樞権罷免を弾劾する上奏を行い、朱芾・李若虚の連座も論じた。撫州の冤罪事件では獄官のみ処罰され守倅が連座しない不当を訴え、死刑審理の制度改善(守以下が囚人の姓名郷里を確認する)を実現させた。
  • 淮南防備の重要性を説き、起居郎兼侍講として春秋の「貶なくして褒なし」論に対し帝に春秋の褒貶の意義を説明、御史中丞に至った。太后帰還・和議の功労者としての抜擢を戒め、御史台の粛正にも努めた。
  • 吏部尚書・国信使・龍図閣学士知厳州を経て致仕、喪中に70歳で卒し開府儀同三司を贈られた。子の羅願は博学で朱熹に重んじられ、小集7巻・爾雅翼20巻を著した。知鄂州として治績があったが、父の岳飛弾劾を憾みに思い、岳飛廟に参拝しようとした矢先に急死した逸話が伝わる。