宋史卷三百八十 列傳第一百三十九 范同

和議推進と失脚

  • 范同、字は択善、建康の人。政和5年(1115年)進士、宏詞科にも及第。吏部員外郎から秦檜と共に和議を主導し、紹興8年(1138年)太常少卿として金使蕭哲・張通古を接伴、金主への再拝の礼を行い民が涙を流したと伝わる。
  • 中書門下省検正諸房公事・権吏部侍郎兼実録院修撰・給事中を経て、紹興11年(1141年)檜が和議を再び主導する際、諸将の統制強化のため兵権を枢府に集める策を献じ、拓皋の捷報を口実に三大将(韓世忠・張俊・岳飛)を召還、樞密使・副使に任じて兵権を解いた。
  • 参知政事兼修実録に至ったが、和議推進の功績を独占しようとして檜に忌まれ、万俟卨の弾劾で罷免、左朝奉郎祕書少監として筠州に謫居、後に太中大夫知太平州となり52歳で卒した。