宋史卷三百七十六 列傳第一百三十五 陳淵

出自と儒学論

  • 陳淵、字は知黙。南劍州沙県の人。給事中廖剛・中書舎人胡寅・朱震・権戸部侍郎張致遠が「淵は陳瓘の孫で文学に優れる」と推薦。李綱の江南西路安撫制置司機宜文字を経て、胡安国の推薦で改官賜進士出身。
  • 監察御史・右正言として、近年の恩賚・賞給が過大であることを論じ、周の「王及后世子は式(財政規則)に会せず」との旧例を引きつつも、冢宰・戸部が式の逸脱を論議し得る仕組みを提案した。
  • 程頤・王安石の学術異同について上と論じ、楊時は初め安石に学びのちに程顥に師事してその非を悟ったこと、安石の三経義解の穿鑿の弊、論語(仁)・中庸(誠)・孟子(性善)の要諦から安石が外れていること、安石が楊雄の性善悪混の説を取り仏教にも溺れたことを論じた。
  • 鄭億年(宰相秦檜の親党)の復職に反対し、罷免はされず秘書少監兼崇政殿説書に転じ、後に何鑄の弾劾で罷免。紹興15年卒。