宋史卷三百四十八 列傳第一百七 毛漸

出自と地方経略

  • 毛漸、字は正仲。衢州江山の人。進士に及第し寧郷県知事として五渓の経理策を上申、新化・安化の二県を新設した。司農丞、京西南路常平提挙、元祐初年知高郵軍、広東転運判官として渠陽蛮の動向に精通し荊湖北路転運判官に転じた。朝廷の棄地論に「蛮は服従が不安定で武威を示さねば懐柔できない、犯境の度に地を棄てるのは得策でない」と反対したが聞かれず、渠陽放棄後に蛮が再侵し官軍を破り荊土は大いに乱れた。
  • 江西・江東・両浙転運副使として浙部の水害に賜銭の一時しのぎでなく、銭氏(呉越)以来の水利事業(長安堰から塩官の堰、無錫の蓮蓉河、常熟の疏涇梅里、崐山の七耳茜涇、呉江の大盈顧匯など)の復旧を提案し実現、以後水害が減った。集賢校理、吏部右司郎中、陝西転運使として渭・秦・熙三州の統括、涇原の帥事も代行し、夏の犯境に対し虚を突いて沒烟砦を破った。直龍圖閣・知渭州の命が下った日に享年59で没し龍圖閣待制を追贈された。