宋史卷三百四十七 列傳第一百六 顔復

出自と礼制の整備

  • 顔復、字は長道。魯の人。顔子(顔淵)の四十八世孫。父太初は名儒として国子監直講を務め、臨晉主簿に出された。嘉祐年間、京東の推薦で中書での試験22人中欧陽修が復を第一と評し進士とした。校書郎・知永寧県、熙寧年間国子直講として、王安石の学法改定に反対し常秩らによる考試で罷免された5人の一人となった。
  • 元祐初年、太常博士として礼制の整備、祀典の考正、讖緯曲学・道流醮謝・術家厭勝の除去を建言した。禮部員外郎、孔宗翰の孔子祠尊奉の提案に応じ祭祀・田禄・廟幹の制度を整えた。崇政殿説書、起居舍人兼侍講、起居郎として教官の選抜を厳格化し太学昇進の基準を整えた。中書舎人兼国子監祭酒として教官の評価制度の不備を指摘したが、天章閣待制に転じる直前、享年57で没した。王巌叟らはその学行の卓越を評し優賻を求めた。子の岐は建炎年間、門下侍郎となった。