宋史卷三百四十七 列傳第一百六 孫升

出自と元祐・紹聖の言論

  • 孫升、字は君孚。高郵の人。進士に及第し泰州判官を経て哲宗即位後、監察御史として朝廷の法度改革・姦邪逐斥に多く建策した。忠信端良の士が集められている現状を「成周の風」と称え、党附の疑いによる猜疑を戒めた。
  • 殿中侍御史として梁燾が張問を責めた際、これに同調し執政に「附和」と非難され知済州に出された。京西刑獄提点、金部員外郎、殿中侍御史、侍御史に進み、翰林承旨鄧温伯が弾劾された際、蔡確を漢の周勃に比した草詔を「欺天負国」と論じた。
  • 起居郎から中書舎人に抜擢され天章閣待制・知應天府となったが董敦逸・黄廷基に過失を摘発され集賢院学士に落とされ、紹聖初年、翟思・張商英にも劾され職を削られ房州・帰州、さらに水部員外郎分司、果州団練副使・汀州安置と貶され享年62で没した。元祐初年、王安石の学問を「一代の文宗」と評しつつ「私智を用い天下の聡明を蓋う大害」と論じ、蘇軾についても「文章学問は服されるが徳業器識は不足、輔佐経綸を任せるなら安石を戒めとすべき」と論じたことが「失言」と世に評された。