幽州征伐の功
- 魏震、出自不明。祖父の浩は贍国軍榷塩制置使、父の鉞は蒲台令であった。魏震は当初祖父の蔭で廷職を補せられるはずであったが、詞業の学に励みたいとして就任を望まなかった。姚恕がかつて父の鉞と蒲台の交代の際に知り合い、また皇子教授であった太宗が藩邸にいた頃、姚恕が魏震の才を称えて邸中に召し置いた。太宗即位後、殿直に補し廬州・寿州等八州巡検となり河東征伐に従い行在の左蔵庫を掌り供奉官に改まった。雍熙初、温州が瑞木の文様を献上した際、魏震は詩賦を作って献じ崇儀副使を拝命、白金2千両を賜り内弓箭庫を掌った。保州知事に出、諸将の北伐の際、幽州西北路鈐轄として飛狐・蔚州を陥落させ、その功で崇儀使に遷り蔚州知事となり、再び保州知事、秦州鈐轄に転じた。端拱中、西上閤門使を拝命し、まもなく盧州知事に転じ澶州に改まった。淳化2(991)年、東上閤門使に進み鳳州知事となったが事に連座して罷免され、至道初、洛苑使に起用され洪州知事となった。2年、再び東上閤門使を拝命し定州・代州二州知事及び行営鈐轄を兼ねた。咸平元(998)年、卒す。子の致恭は殿中丞となった。