陳琰
- 字は伯玉。澶州臨河の人。進士及第し溧陽・欒城縣主簿を歴任、大理寺丞に遷り真定府税監、金堂・夏津二県知県、太常博士に再遷した。轉運使の盧士倫は曺利用の婿であり権勢に依り訴訟を放置していたが、訴える者が絶えず琰に評決させると琰はこれを正した。御史知雜の韓億がこれを聞き監察御史に推した。
- 父の喪に丁り哀毀(哀しみで痩せ細ること)した際、墳の木が連理となったと伝わる。喪明けに殿中侍御史に遷った。天聖五年、南郊の祀典で世論は丁謂が復権すると噂したため、琰は「常を乱し逆を肆にした者は必ず誅すべきで、陰謀を懐く姦悪は殺すのみで赦されない。丁謂は険佞をもって公台を窃取し賄賂が私室に満ち、威権と請託を朝廷にはびこらせ、巫師の妖術で厭魅を行い宮闈を惑わし、神寝や龍岡を動かして王気を消そうとした。今、禋柴(郊祀)の礼で恩を広く推し及ぼすなら、謂が密かに財貨を送り要権と結び荒地から良地への移動を図ることを憂慮すべきだ。李徳裕は朋党のためだけで生きて還ることを許されなかった。盧多遜は王藩に阿ったため終生赦されなかった。今回も赦さぬべきだ」と上疏した。帝はこれを是とした。
- 三司度支判官に遷り、侍御史・京西河東河北轉運副使・三司戸部度支鹽鐵副使を歴任。汴倉の納糧で計量が不実であり、舟を操る者が坐して失亡の罪により杖背・徒重役に処されていたのを、琰は初めて官を選んで監視させることを奏した。これを「定計斗面」と呼ぶ。尚書工部郎中に累遷し卒した。